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代表下地インタビュー
【取材記事】スタッフにチャンスを与え続けたい。 かつて自分がしてもらったように…
「asha hair solution」代表取締役
「世界理美容選手権大会」チャンピオン
しもぢ ひろかず
下地 宏和さん [兵庫県芦屋市在住]
公式サイト: http://www.asha.co.jp/
プロフィール
1968年 宝塚市出身
1987年 報徳学園高等学校卒業
1988年 阪神理容美容専修学校卒業 泉南の「ヘアーサロン森本」で13年にわたる修業時代がスタート
1996年 日本チャンピオン獲得
2000年 オランダで開催された「世界理美容選手権大会」で世界チャンピオンに
2002年 芦屋にヘアサロン「asha hair solution」を開店
たったひとりの人間に出会うことで、人生は大きく動くことがある。
彼にとっての“キーパーソン”は、とんでもなくキビシイ“師匠”。ここ泉州で彼女の弟子となり、怒鳴られ、シゴカレた14年間こそが、彼の人生を決めたといっても過言ではない。
「365日仕事、仕事…そして仕事が終われば夜中の2時、3時まで練習が待ってる。今思うと、あり得ないほどキビシかったんですよ。でも、なんの目標もなくフラフラしてた僕が、いつか大会で賞を獲りたい、優勝して認められたい…という夢に出会えたのも師匠のおかげ。毎日努力し続けることの偉大さ、上を目指すなら本気で挑まなアカンということ…全部彼女に教えてもらったんです」
世界で一番練習した人間だけが、世界一になれる――夢のために前だけを見つめていた時代を過ごした泉州、ここが彼の“原点”でもあるのだ。
絶たれた甲子園への夢
報徳学園の野球部といえば、もちろん甲子園の常連だ。
幼い頃から野球少年で、中学時代にはあちこちの大会で活躍。当然甲子園を夢見ていた彼は、報徳への入学を決める。
「思いっきり野球をしようと決心して入ったはずなのに、その練習のキビシさは尋常じゃない。もうダメや、ついていけないと、すぐ弱気になるのが僕らしいとこで(笑)」
あまりのシゴキに、部員はみるみる減り、1カ月で50人が退部。それでもなんとか一年を乗り切り、今度は先輩として“シゴケる”番になった時「何か心のタガがはずれたんです。自分の中で燃え尽きてしまったというか…」
そんな時だった。ヤル気をなくしている息子の様子にいち早く気づいた父が、
「人生80年だとしたら、今ツラいのはたったの1年じゃないか。なんで80年のうちの1年が耐えられないんだ!」と彼に馬乗りになり、殴りつけたのだ。
「ビックリして頭はまっ白!でも考えてみればその通りやなと。男が一度決めたんや、卒業するまでとにかく頑張ってみようと思えるようになったんです」
だが不運にも事件は起こる。
「さあ、これからが僕らのシーズンや!」と張り切っていた2年の時、部内の不祥事が発覚し、1年間の対外試合禁止の処分が出てしまったのだ。
「夢が絶たれて悔しいんだけど、一方でああこれでキビシい練習から解放される…っていう思いもあって(笑)なんか複雑でした」
結局、甲子園には行けずじまい。
だが逆境のなか、卒業までやり遂げた達成感と、試練を乗り越えた自信は、やがて彼の財産となって人生をを支えることになる。
その後は実家が理容院ということもあり、理美容の専門学校に入学。ところが初めての自由に酔うように「出席だけとると、友だちと合流。そのあげく朝帰りで実家の手伝いもしない。1年間ほとんど授業も聞かず、遊びまくったんです」
そんなある日、何気なく見た一本の映画がターニングポイントになる。陣内孝則主演のヤクザ映画「ちょうちん」。
「ちょうちんみたいにフラフラしてられねえんだよ」と仲間を置き去りに去っていくシーンを見た時、体に電気が走った。
「あ、このちょうちんってオレの事やんか…」
フラフラ遊びほうけて、生きている意味も何もない…
「これはダメだ、男にならなアカン!」そう思った彼は、父になんと「関西でいちばんキビシイ店で修業したい」と申し出たのだ。
師匠との出会い
それが泉南市にある「ヘアーサロン 森本」。いよいよあの“師匠”と出会うことになる。
師匠こと森本栄子さんは、別名「チャンピオン製造機」といわれるほど、店のスタッフを次々大会で優勝させてきた“カリスマ美容師”。
何故それほどチャンピオンを生み出せるのか――
「仕事と練習時間がハンパじゃない。あれだけやらされれば、自然と技術は身につくんですよ」
という訳で、そこからは盆も正月もない、ひたすら怒られシゴカレる毎日が始まったのだ。
「えらいとこに来てしまったと、ちょっとぼう然…周りは3日もたへんやろとウワサしてたらしいけど(笑」」
あまりのツラさに、朝起きたら寮の同僚がいない…ということもしょっちゅう。それでも「高校の野球部よりはマシ」と言い聞かせてガンバること8年!何度目かの挑戦の末、地区予選、阪南大会、近畿予選…と数々の大会を勝ち抜き、ついにヘアスタイリスト日本一に輝いたのだ。
「表彰台に上がって、初めてハッとしました。会場を見ると応援に来てるヤツが泣いてたり、自分のことのように喜んでくれてたり…ひとりでここまで来たんじゃない、師匠はもちろん、夜遅くまで練習に付き合ってくれる先輩、ヘアモデルさん…たくさんの人に支えられてるんやなと」
そしてナショナルチーム入りした彼は、今度は理美容界のオリンピックともいえる、世界大会にチャレンジすることに。
月に3日間の合宿、2カ月に一度のヨーロッパ遠征…と仕事の合い間をぬってはトレーニングを重ね、4年後にはなんと34ヶ国から集まったスタイリストの頂点に輝いたのだ。
「不思議なんですけど全然緊張しなかった。日本と違って、向こうは英語、何ゆってるかわからんから、スゴイ集中できたんです(笑)」
夢を達成した彼は、14年にもわたる修業を終え、芦屋に念願だった自分の店をオープンさせた。
コンセプトは、身体に優しいもの、安全なものだけを使うということ。
「当時は環境や健康に配慮するという考えが、あまりなかったんですよ。それなら僕が業界のお手本になりたいと思って。シャンプー、トリートメント、パーマ液…すべて飲んでもOKぐらいのレベルです」
そしてもうひとつ、苦労してきた彼だからこそ、「スタッフが辞めないサロンにしたい」という強い思いがある。
「今ならあのキビシさも、愛情だったと思える。でもそれに気づくには長い年月がかかるんです。途中で辞めてしまったら何も残らない。だからみんなが自由に意見をいえる、ここで働くことが自慢になるようなサロンにしたかった。そして、かつて自分が師匠からチャンスをもらったように、スタッフにもチャンスを与え続けたいんです」
<2014/5/1 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔>
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